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昨今の経済難。大変ですね。
NYダウも一万ドルを割るわ、東証も一万円も割るわで、ここの所経済関連の話で良い話を聞きません。


そして今後一番大きな問題として取り座され続けるであろう「年金問題」
恐らく、今後一番税金を払って、年金を払っている団塊の世代にしっかり年金が支払われる事は無いと思います。



それと言うのも、若い世代二人に対して老人が一人と言う、あまりに歪な人口構成。
これでは、どうやった所で、これから爆発的に増え続けるであろう老人達を養うには無理があります。
みんなそれには薄々気づいているのですが、でもテレビも新聞もそれをいいません。そんな事言ったら、その場で悪者になるだけだから。
ですから僕はあえて言います。「この歪な人口構成を変えなければどうしようもない。」と。

しかし、そんな子供でも分かる公然の事実を無視して、テレビではやれ「税金の無駄遣い」を無くせだとか、やれ政治家の給料を年金に回せとか言いますが、そんな事はやった所で、焼け石に水。
この日本に要る三千万人の老人を養うお金を捻出するには、あまりに微量過ぎるのです。



そしてこれから介護と言う仕事も増えてきます。しかし仕事は増えているのに一向に介護師の給料は増えません。
世の中のどんな商売でも需要が増えて、受注が増えれば、儲かるものですが、どうやらそれは介護の仕事ではそうなってないようです。


それと言うのも、介護という仕事が、その必要性に比べてあまりに将来性や生産性が無いからです。
酷い言い方をすれば、もう先の将来に期待するものがほとんどない老人を生きながらえさせた所で、利益が産まれないからです。


例えば、介護する対象が難病の子供でしたら、その介護の仕事は非常に将来性があり、今後この国に利益を生み出す可能性が高い仕事にはなるのですが、その対象が老人になった途端、介護という仕事が「ただ死を先延ばしにするだけの作業」になってしまうんですね。




しかも、みな口に出して言いませんが、家族に「厄介者」として邪険に扱われている老人は非常に多いのです。
みな「人間は生きているだけで素晴らしい」という、公明正大な大義名分の元、正直な事は決して口に出して言いませんが、事実、早く天寿を全うして欲しいと思われている老人も多く要るのです。



ですから、これは僕の提案ですが、国や自治体で「安楽死」施設を作ったら・・と思うのです。
もちろん、それは本人の了承なしでは認可されないようなシステムにして、志願者が、苦しまずに旅経てるようにする施設です。



そして、生活苦に苦しんでいるホームレスや、多重債務者からも志願者は出てくるでしょうし、色々な障害を乗り越えて認可されれば、恐らくは相当な社会に影響は出てくるでしょう。、





しかし、これが出来る事により、介護師が一切儲からない介護事業も縮小するでしょうし、それにご家族の経済的負担も少なくなるはずですし、何より、国家財政は劇的に支出が減ることでしょう。
ちまちま、国会議員の弁当が高すぎるとか、そんな事に目くじらを立てるよりもよほど効率的に経済を立ち直らせる事が出来るのです。




もちろん、人道的な障害もあるでしょうし、この意見を呼んで恐らく多くの方が賛同しえないでしょうが、しかしそれでもこの法案成立に夢を抱かずにはいられません。





いま、鬱病の認識が深まり、根性論や無駄な精神論も消えうせ、次第に「我慢しなくても良い」時代に入ってきています。
ですから、そろそろ「我慢して生きなくても良い」時代になるべきではないかと思うんです。



「人間は頑張るだけ出来るだけ長生きするべきで、人の命は地球より重い」という非常に効率性が悪い考えは捨て、「生きることも、死ぬ事もその人の選択肢」と言う時代に変換すべきです。

コメント

淵瀬春秋
2008年10月8日7:44

人間の安全保障において、命の重さは同じでも価値が違うのではないかという議論がありました。これは国際問題における話題でしたが、日本国内においても現実問題、価値は異なりますね・・・そういう問題からアプローチすると、安楽死・尊厳死は厄介な問題です。
 私個人は安楽死は受入れるし尊厳死は望むし、その際には(薬漬けの体で使えるかという問題はあるものの)臓器丸ごと提供の意思を既に表明しています。

柳
2008年10月8日23:02

ん・・・そうですねぇ・・・
とにかくこの世の中、人命第一にし過ぎていて目的を失っているような気がするんです・・
何かが狂っている・・・

nophoto
通りすがり
2009年6月19日0:11

尊厳死施設の建設というと、どこか狂った人権家が騒ぐので、名前を変えれば良いと思います。
たとえば「人生を見直す家」「幸福を求める場所」というふうに生命とは無関係と思える施設にすれば良いのです。そこで、安楽死による自殺をしようが、社会復帰・自立を選択することも個人の自由選択にすれば良いのです。

自分としては尊厳死施設の建設は反対も賛成もしないです。
ただ、死ぬ気で頑張れといわれても頑張れない人が大部分であり、その前世紀的な発想が、取り返しが付かない犯罪事件へと発展するのです。

その意味では頑張らなくても言い施設や制度を作るべきだと思います。
今後は、あなたの意見に賛同する人が激増すると思うので、これは夢物語だと思えません。

nophoto
荒熊寅次郎
2009年8月2日12:44

「安楽死法案」大賛成です。
そもそもこの絶望的ともいえる社会を建設したのは誰なのか?一生懸命まじめに努力しても報われない社会は歴史的に見てもいずれ崩壊するのは自明の理であって、その社会で生きていきたくないと思う人たちもいるのは当然の事、ならばその人たちに対しての責任があると考えます。尊厳死を迎えたいと考える人たちは、お年寄りだけではない事も、「安楽死法案」に盛り込むべきであります。
「尊厳」そのものが未だに守られない人間社会で「尊厳死」を求めるのははなはだ矛盾する事ではありますが、その矛盾の解決方法が「安楽死法案」であると思います。

nophoto
アップルウィダー
2012年8月22日23:37

自分も自由安楽死法案には賛成ですね。だいたい偽善者達は、どんな人間の
命も平等に重いとか綺麗事抜かしますけど、ある悪人がいてそいつが存在するだけでその何倍もの命が失われていくのが日本の現状ですから、命にだっていろんな価値はあると思います。自分は今年三十路になりましたが、正直あと何十年
日本という国が存在するかわからないので、おまんまがろくに食えない、趣味に
かける金すら底を突いた時、それでも是が非でも生きようという気にはなりません。自分が納得するまで生きて、その上で満足したからもうこの世とはオサラバよ、最後には笑顔で安楽死装置に入り込み、苦もなく生に終止符を打つ、それが
自分の望む最後ですね。平成政府の腰抜け議員どもは税金徴収が減るからなんとか働いて血税収めながらやっと食べていけてる若年世代を死なせたくはないから、絶対に安楽死法案には賛成しないと思いますがね。
柳

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